牌効率論
『牌効率』とは、下記のようにイーシャンテンや聴牌時の打牌を論ずる際に用いられる事が多い。
しかし、だ。
そもそも、イーシャンテンや聴牌で『牌効率』を論ずるに足る、この様な充実した手牌にすること。
それ自体が困難であり、こういう手牌を作り上げた時点ですでに先手は取っているのだ。
無論、ここでの『牌効率』も重要である。それは言うまでも無い。
しかし、真に重要なのは、3・4シャンテンからこのような手牌を作り上げることである。
そして、そのプロセスにこそ『牌効率』は適用されるべきなのだ。
本項では、幾つかの例題を用いて、このような『牌効率』を論ずるものである。
そのため、『牌効率』の定義がかなり広義に渡っており、『手順』とも言うべきものになっている箇所もある。
この点を予めご了承頂きたい。
例題1
東一局北家 配牌:手牌の方向性
まずは手牌の方向性を見極める。
何故ならば、方向性によっては『牌効率』云々の話ではなくなってくるからだ。
この手牌の方向性は・・・。
- 色染め系には不向き
- 対子系も不向き
という単純な消去法で『順子系』となる。
『順子系』は最も出現し易い形であり、『牌効率』がフルに適用される系統である。
なお、付加情報としては下記が挙げられる。
- 雀頭が無い
- 456の三色が見える
- できればタンピン
東一局北家 一打目:雀頭無しはスジ牌残し
索子が と厚い形になった。
ここでの第一打はオタ風である打 としたい。
スジ牌がかぶっている は? と思う諸兄もいるだろう。
の受け入れは だが、これは のスジ牌である があるので、 がなくともカバーできる、という理論だ。
この理論立ては非常に正しい。筆者も普段はこの理論通りに打っている。
しかし、この手牌には「雀頭が無い」という情報がある。
まず、 と 単体では、雀頭の成り易さはまったく等価である。
しかし、仮に を引き入れたとすると、 を残しておけば とノベタン形になるのだ。
これにより、 を残した方が雀頭不足が解消される可能性が高い。
よって、ここでは打 を推奨する。
東一局北家 二打目:字牌は共通役牌を絞る
ますます索子が厚い形 になった。
ここで払うべきは、共通役牌の と自風の のどちらかとなる。
他家に不穏な動きがなく、枚数も同じであれば、ここは自風である打 としたい。
は他家共通の役牌である。
そして、こちらの手牌は といった端牌の整理がまだ終わっていない。
仮に他家が を対子で持っていた場合。
を鳴かれた後では、これら端牌も鳴かれてしまう可能性があるのだ。
共通役牌は、こちらの端牌の整理が終わってから打ち出すべきである。
細かいようだが、他家の手牌を一手でも遅らせるためには、こういう戦術も必要となるのだ。
よって、ここは打 を推奨したい。
東一局北家 五打目:愚形を払う
索子が一面子完成となった。
選択肢は多いが、ここはタンピン三色を視野に入れてペンチャンの 落としだ。
筒子の形が厚く、萬子にも手広い受け入れがある。
このような充実した手牌ならば、迷わず愚形のペンチャン・カンチャンを払うべき。
無論、タンヤオの雀頭になる可能性があるので、 は残して、打 だ。
東一局北家 六打目:好牌先打
さらに筒子が広がったが、いまだに確定した雀頭が無い。
を残してタンヤオの雀頭を求めるか、 を抱えるか。
ここは個々の打ち筋による所が大きいが、筆者としては打 を推奨する。
中張牌は字牌に比べて後々危険牌となり易い。
単純に重なりだけを期待して中張牌を手牌に留めるのは、中盤以降では控えるべきだ。
しかもこの手牌、いざとなれば筒子と索子に雀頭を求めることもできる。
ならばここは好牌先打で打 だ。
東一局北家 七打目:面子を求めるスジ牌残し
またしても筒子が重なった。
を雀頭に見立てることもできるが、それはまだ早い。ここは打 だ。
萬子でスジにかかる2牌を残すのは、これが非常に受け入れの広い形だからだ。
以外の全ての萬子で塔子が作れ、しかもリャンメン塔子となる可能性も高い。
ちなみに、
- 配牌から萬子がまったく動かないから萬子を払う
というオカルト的思考があるが、少なくとも筆者にこういう考えは存在しない。
難しく言えば
- 過去のツモ牌とこれからツモる牌は完全に独立したものである
となり、簡単に言えば
- 山から萬子が消えた訳じゃあるまいし
となる。
東一局北家 八打目:三色含みは先を見る
首尾よく萬子をツモって好形イーシャンテンとなった。
234の三色だけを見るならば、打 でも打 でも違いは無い。
しかし、先の展開を読めばここは打 である。
まず、 を残しても456の三色が見える訳でもない。それはあまりに遠すぎるだろう。
となれば、 を残しておく意味は全く無い。
対して を残せば、 を引いた時に345の三色も狙える形になるのだ。
三色含みの複合形がある手牌は、常に先の展開を読むべきなのである。
例題1 総評
ここでようやく、当初の形となった。
この後の打牌に関しては「受け入れの広さという罠」をご参照頂きたい。
配牌からイーシャンテン・聴牌に至る道。
その一歩々々、一打々々に対して、明確な理由と信念を持つことを心がけたい。
- 一摸一打に意味がある
一摸は偶然である。しかし全ての一打に意味を込めることは可能なのだ。
それこそが、真の意味での『牌効率』と言えないだろうか?