メンタルコントロール 実戦編 其の1

前回にてメンタルの重要性を説いた。
しかし、メンタルとは読んで字の如く精神的なもの。
修行僧や修験者ならば兎も角、筆者を含め、一般人が一朝一夕で修められる類のものでは無い。


しかし、ある程度の心構えを持って打てば、『メンタルの弱さ』は克服可能なもの。
そしてその状態で打ち続ければ、それは自然と『メンタルの強さ』となって現れてくる。
本項は、些細な、しかし『メンタルの強さ』につながる心構えを紹介するものである。


メンタルの強さ』は集中力、我慢強さ、忍耐強さに通じるもの。
麻雀を通して人間的に成長できるならば、これ程素晴らしいことは無いと思うがどうであろうか。

客観的な判断力

メンタルの強弱を論ずる上で、一番重要なものが『客観的な判断力』である。


これの対極、主観的な判断で打つと、どうしても自分本位の打牌をしてしまうもの。
曰く「この立直は和了したい
曰く「このドラは必要無いからいらない
等々である。
この背景には「自分の期待通りになってほしい」という希望があり、その通りにならないと反動も大きい。
これがメンタルを揺さぶる大きな原因になるのだ。


まずは、自分以外にも3人が同じ卓で闘牌をしていることを意識する。
その上で、自分本位の期待無しに、読み取れる情報から打牌を導き出す、客観的な姿勢を持つようにすべし。


さらに言えば、自分を含めて4人の闘牌を客観的に見ることが出来ればベストである。

駄目で元々

麻雀打ちならば、誰でも聴牌したら和了したいと考えるもの。
しかも、打点が高ければ高い程、形が良ければ良い程、その期待は膨らむばかりである。


ここで夢破れて流局、または追っかけ立直に放銃という結果に終わったならば。。
その期待が大きければ大きい程、反動は強いものだ。


そうならないためにも、自分の手牌に過剰な期待は禁物。聴牌しても『駄目で元々』という気持ちが必要である。
和了して始めて『和了できてラッキー』と思う位の余裕を持つべし。

反省せども後悔せず

麻雀とは選択の連続で構成されるゲームである。
しかも、明確な答えが無い選択も多く、それ故に正解を出し続けることは容易では無い。
曰く「この牌を切っていれば和了していた
曰く「この牌を切っていれば放銃せずにすんだ
こんなことは日常茶飯事である。
こんな時、明確なミスをしても後悔はしないことだ。するならば反省である。


後悔はその後の打牌に悪い影響しか及ぼさない。反省ならば次につながる知恵となるのだ。

人のせいにしない

曰く「上家の仕掛けで流れてきた牌で放銃した。上家が鳴かなければ。。
曰く「下家が放銃するからトップを逆転された。下家の野郎、無理押ししやがって!
等々。


麻雀は4人でやるゲームなので、人のせいにしようと思えばいくらでもできるものである。
だからといって人のせいにして良い訳は無い。
上記例ならば、放銃した牌はあくまでも自分の判断で捨てた牌だし、無理押しした下家には下家なりの理由があっただろう。


自分の打牌はあくもでも自分の判断と責任、その局の結果は自分を含めた4人が出した結果である。
そこには非難する側も非難される側も無いのだ。
それを踏まえて、常に自分が納得できる打牌をすること。これが『メンタルの強さ』に通ずる。

麻雀に集中できる環境を作る

酒を飲みながら、TVを見ながら。
所謂「ながら麻雀」は、集中力が分散して細かなミスを誘発するもの。
楽しむための麻雀ならば兎も角、勝負としての麻雀において、集中力の欠如は負けに直結する一大事である。


麻雀をするならば後顧の憂いを無くし、闘牌に全てを注ぎ込める状態で挑む。
これが闘牌に臨む正しき姿勢であり、これが『メンタルの強さ』となる。