以下の文章は、私の主観であることを予め断っておこう。
一度も放銃に対して恐怖を感じたことが無い、という人。
これは「麻雀」をしていても、「闘牌」の域に至っていない。
ここで言う「麻雀」とは、賭けるものが無い、純粋なゲームとしての麻雀だ。
失うものが無ければこそ、ラスに直結する放銃に恐怖を感じない。
これが良い悪いという訳ではない。
麻雀の土壌の違いだ。
そして放銃を怖いと感じている人、または怖いと感じたことのある人。
これは失うもののある「闘牌」をしている証拠だ。
そしてこの時、恐怖の度合いは失うもが大きい程、大きくなっていくものだ。