『天牌』からの一言
むかしむかし、ある所にりょーさんという「まーじゃんうち(兼 ひも)」がおりました。
ある日、りょーさんはおししょうの入星さんに
「まーじゃん打とーよ」
と誘われます。
おおよろこびのりょーさんは、おともだちのシュンちゃんをほっぽって「じゃんそう てんぐ」にかけつけます。
しかしそこにいたのは3匹のおおかみさん。
とってはなげられ、ちぎってはなげられ、ぼろぼろのりょーさんに、おおかみさんたちはいいました。
- large;">「そこに北はあるんだよ」:by 入星祥吾
はんしんはんぎのりょーさんですが。。
がーん!!!
めくっておどろけたまてばこ。そこにははっきりくっきりぺーさんのおすがたが。
びっくりぎょうてん、いきしょうちんのりょーさんでした。
めでたしめでたし。
。
。。
。。。
「お前ら三人揃ってガン牌ですかよ!?」
こう言わなかった影村君、君は立派です。
私なら言っている(笑)。
さて、真面目な話に移ろう。
ここで影村遼が犯した失敗は、半信半疑ながらも次のツモ牌を見てしまったことだ。
ネット麻雀では無縁のことだが、リアル麻雀では和了の後に伏せた牌を見る人がいる。
- ダマ聴をツモった時の裏ドラ
- 槓をしないで流局してしまった後のリンシャン牌
- 自信満々の手牌が捌かれてしまった後の次のツモ牌
概ね上記の状況が多い。
その局で不本意な結果が出た時に、どうすれば良かったのかを伏せ牌に求めてしまうようだ。
しかし、これは百害あって一利無しの行為である。
そもそも、立直であれ槓であれ、するか否かはその時に見える情報だけで判断するものだ。
裏ドラやリンシャン牌を見てから判断できる訳では無い。
たまたまそこに都合の良い牌があったとしても、それは結果であって何の役に立つ訳でもない。
さらに、多くの人はこう思ってしまうだろう。
- あの時立直(槓)をしていれば・・・
無論、場面によっては立直や槓をするべき時もあるだろう。
危険なのは、「あの時しなかったことで損をした だから次回は絶対にしよう」という偏った思考に陥ることだ。
必要なのは立直や槓をするための判断を磨き、保つこと。
伏せ牌を見る行為は、その妨げにしかならないのである。
もっとも、本人にその気が無くとも、ご親切に牌をめくってくれる人も中にはいる。
- 曰く「兄ちゃん、立直すれば裏3だったよ!」
- 曰く「槓すればリンシャンツモだったのにねー、残念だったねー」
いいんです。
私は親でハネマンあれば立直しませんし、ドラ3抱えてるのに槓なんてしませんから。。