見えるもの

麻雀には、大きく分けて見える情報と見えない情報が存在する。


見える情報は「手牌」「捨て牌」「得点状況」「場況」など。
見えない情報は「ツモ山」「他家の手牌」だ。


見える情報」を最大限活かすのは以下の技術だ。

これら基礎技術を高いレベルで習得している事こそが、強者の条件である。


しかし、これら基礎技術はある程度習得すると、途端に上達速度が遅くなる。


これは技術一般に言えることだが、上のレベルに行けば行くほど、次のステップアップに時間がかかるからだ。

見えないもの

そうなると、人は「見えない情報」に魅かれる。
ツモ山・他家の手牌・和了」を知る術を求める。


これらは捨て牌からある程度推察できる。
が、あくまでも推察の域に留まる。


ここで道は2つに分かれる。


あくまでも「見えない情報」を知ることに注力するか?
或いは地道に「見える情報」から成る基礎技術の向上に心血を注ぐか?

戒め

何を隠そう、これは現在の私の心境である。


思えば、基礎技術の修練度に過信があったのだろう。
最近の私は、この基礎技術の向上をおざなりにし、新しい事に気を取られ過ぎていた。


しかし基礎技術には果てが無い。


全ての打牌は牌効率に適っているか?
ベタオリの手順は常に合っているか?
押しに偏ってはいないか?
攻めるべき状況で攻めているか?
守るべき状況を心得て守っているか?


私はかつて考えていたはずである。
基礎技術を極めることこそが最強への道であることを。


ここを楔に、私は今一度基本に立ち戻る。
鉄の意志で、基礎技術の向上に努めるのだ。


地道な作業の繰り返しになるだろう。
しかし集中力を持って、この道を進むことを、ここに誓おう。