曇りのない鏡の如く
フリーデビュー仕立ての私であれば、和了への確信から急転直下して茫然自失となっただろう。
フリーに馴れ始めたが、まだまだ素人そのものだった私であれば、怒りのあまり憮然とし、点棒を投げ捨てるように払っただろう。
しかしその時の心は実に静かなものであった。
対面の和了を事実として素直に受け止め、自身の手牌をなんの未練も無く流し込んだ。
変な話だが、この鏡面の如き心境に対して、私は私自身に少々驚いた。
麻雀は最初に和了した手牌のみが手を開き、点数を貰う権利を得る。
それが仮テンだろうとなんだろうと、そんな事は一切無関係だ。
そして、和了できなかった手牌はその時点で意味を失う。
5シャンテンだろうと役満テンパイだろうと、和了できなければ同じことだ。
しかし、そうと分かっていても、心は納得しない。感情は付いて行かない。
高い手をテンパイしていればその手を惜しむし、仮テンに当たれば己の不幸を嘆く。
時には
(そんな仮テンしてんなよ!)
と相手を恨みさえするものだ、
それを百も承知していた自分が、この手牌をこの心境で捨てられるとは・・・。
明鏡止水。
それは曇りのない鏡、静かな水の如き心なり。
自分がこの境地に至ったとは思わない。
ただ、その一端には手が触れた気がした今日この頃である。